伊波洋一さんスクール概要
第ニ期・第1回 (2011年5月19日)
伊波洋一さん(元宜野湾市長) 「沖縄基地問題・普天間基地のゆくえ」
[講演要旨]
1.沖縄の基地の成り立ち
1-1. 戦時下に作られた基地
福島原発問題が大変深刻化していくなかで、原発と沖縄の基地問題が同じように印象付けられています。どちらも、いわゆる迷惑施設を押し付けるのに、交付金とかお金、政府の補助を使ってそれで受け入れられているというものです。しかし、原発は行政手続きを経て同意があって受け入れられましたが、沖縄の基地は決して受け入れられたものではありません。1945年の沖縄戦のさなかに、対本土攻略の拠点として作られたものです。それまで沖縄にあった6カ所の日本軍飛行場に加えて、米軍は8カ所の飛行場を沖縄本島に、対本土攻略のために作りました。それらの基地が今残る基地の基本の形を構成しています。これらの基地は、一度も地主の了解を得ることなく作られて今日に至っています。だから、安保によって基地があるわけでもないのです。
1-2.戦後の土地収用による基地拡大
戦後、1950年代半ばに、新たに土地が接収されて基地が作られていきました。まさにそれは安保のためでした。朝鮮戦争のために、日本各地に予備隊としてきていた海兵隊が地域で大変な問題となり、沖縄に海兵隊を移すことが決められました。沖縄では1953年に土地収用令が公布され、1950年代半ばには、いわゆる「銃剣とブルドーザーで」強制的に、沖縄本島の14ないし15%が更に米軍基地に編入されていったのです。
1-3.沖縄返還を経ても変わらず、占領下のまま、日米安保の提供施設へ
ですから、決して、原発と同一の構図ではありません。沖縄の基地というものはそもそも不正義で、公正ではなく、人権を抑圧しているものです。1972年の沖縄返還で、それらは全て返されるべきだというのが沖縄の気持ちでしたが、これ以降、占領下で作られたすべての既存の米軍基地は、日米安保上の提供施設に衣替えします。その一つが普天間です。普天間は復帰以前から、米国でも、本来これは返されるべきものであるという認識があり、政治問題化する可能性が指摘されていました。また、普天間飛行場は、日本の航空法の基準による飛行場ではなく、かつ、米軍の安全基準として指定されたゾーン内に小学校や公民館もあり、住民も住んでいる、危険性においてアメリカの基準も逸脱した飛行場です。
2.米国基準をも逸脱した基地の現状
2-1.カーター大統領の大統領命令
米国は日本における米軍のようなあり方を是認しているのではありません。1978年にカーター大統領のもとで、国防省、米軍を含めて、連邦政府の活動は連邦法、州法、自治体法を守らなければならない、という大統領命令が出ます。海外においても米軍が守るべき環境基準を作成する提案がされましたが、冷戦の中でそれは行われませんでした。
2-2.1990年代の、議会による環境調査
冷戦後の1990年には、議会による海外基地の環境調査が行われ、議会は1991年の国防予算法で、域外施設の環境要件を決定するための政策立案を決定しました。
2-3.1996年に国防総省の海外環境指針公布
1996年に海外環境指針が成立し、現在はそれが日本に適用されています。その大きなポイントは、駐留国の基準か米国の基準か、のうち、より厳しい基準を適用するというルールです。2000年9月には、日米両政府は環境原則に関する共同発表を行い、日本の米軍基地の周辺、基地の中、周辺住民に対して安全と環境を守るために、JEGSという日本環境管理基準を適用し、安全と環境が確保されると宣言しました。
2-4.日本政府の対応
ところが沖縄では何も変わりませんでした。日本政府が何も監視していないからです。翻訳すらしていません。単に連邦政府、連邦議会に対するアリバイであって、本来アメリカが守るべきものを放置しているのです。
3.米軍の抑止力の議論
3-1.沖縄の海兵隊の活動の実際
海兵隊の抑止力については、いろいろな議論がありますが、実際は、海兵隊は沖縄にはいません。2006年の例では、1・2月はグアム、2・3月はフィリピン、3・4月は韓国、5・6月はタイ、9月はオーストラリア、10月から11月はフィリピンにいました。
3-2.米軍海兵隊は、西太平洋諸国と共同演習を行っている
海兵隊はこのように毎年、半年くらいはこれらの国々を行き来して、その国々との演習をしています。米国は、西太平洋の5つの国、日本・韓国・フィリピン・タイ・オーストラリアと、同盟関係というべき安全保障条約を持っていて、これを担保するために訓練をしています。冷戦終了後、米国民が、この強大な軍隊を維持して自分達の国だけで他の国の防衛をするのはおかしい、各国にもシェアしてもらうということになり、日本は、思いやり予算や日本の基地予算で艦船・部隊を送る役割となったのです。
3-3.海兵隊の抑止力についてのアメリカの認識 - グアムの重要性
海兵隊の抑止力については、2009年2月に締結されたグアム協定で、海兵隊をグアムに移したほうが抑止力の強化になる、と明確に書かれています。沖縄から8千名と家族9千名をグアムに移す、そのために日本政府は7千億円を払います。2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」の半年後には沖縄からグアムへの海兵隊移転も合意されました。
3-4.辺野古、嘉手納などについて、アメリカ国内でのさまざまな議論
辺野古の話も、キャンベル国務次官補は、ヘリ基地のためではなく、中国有事のためだと言っていることがウィキリークスで伝えられました。米国連邦上院軍事委員会は、辺野古移設ではなく、嘉手納統合、と言ってもいます。連邦議会のレビン上院軍事委員長は、沖縄訪問時に実際に辺野古の美しい海を見て難しいと感じた、と言っています。海軍長官も務めたウェッブ上院議員は、予算節減のための海兵隊グアム移転の報告書を出しています。アメリカでは権限の強い連邦議会が、予算を減らせ、計画を変更しろ、と言っています。日本政府はそのことに向かい合って、辺野古を断念するチャンスのはずなのです。
3-5.日本の国会でなすべきことは
日本の国会ももっと自由な議論をして、政府に対して沖縄の負担軽減のための計画変更を迫るべきだと思います。海兵隊移転をそのまま進めて実質どれくらいの海兵隊が残るのか、なども明らかにする必要があると思います。政府が問題を明らかにして本当の意味での課題として解決にもっていく、原発と一緒でこれがとてもだいじだろうと思います。
4.沖縄基地問題の大きな背景 - 日米同盟の深化
4-1.日米安保をアジア太平洋に拡大した1996年
辺野古問題は、普天間の問題、沖縄の基地負担の問題だけではありません。1997年の新ガイドラインで、米軍が日本の民間港湾・飛行場を利用できるようになりました。その前年、1996年のアジア太平洋宣言で、日米安保は、日本周辺の極東からアジア太平洋全域に拡大したのです。
4-2.日米安保を地球規模に拡大した2005年の日米合意
2005年には、日米安保が地球規模に拡大されました。2001年の同時テロ以降、アメリカは地球規模の基地の再編に着手し、ハワイ・本土以外では、イギリス、イタリア、インド洋の先のディエゴ・ガルシア、日本、そしてグアム、この5つに集約することになりました。2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」という合意で、日本に新しい基地を作ること、日本の米軍基地は地球規模の基地だということを合意したのです。
4-3.日米同盟の深化 - 国民と政府の認識
これこそが、今よく言われる日米同盟の深化です。米国は、自衛隊と米軍の一体化をもめざしています。では国民はこの同盟をサポートしているかというと、決してそうではありません。アジアの国々と国際的な安保体制を築く、という人が過半数なのですが、残念ながらこれが政治勢力にならず、自民党政府も民主党政府も、いまや同盟の深化路線です。
4-4.日米同盟の深化とは、中国包囲網を形成し、日本を戦場に使うこと
この深化は何かというと、中国包囲網です。南西諸島に対して自衛隊を配備して、日中の軍事的緊張を高めながら、アメリカはその中国の戦力を封じ込める一つの役割を日本にしてもらう、そのうえで、いざとなったら有事対処をするということだと思います。アメリカの今のエアシーバトル戦略は、米中有事が起こったときに、西日本の基地がやられる可能性があって、そのかわりに東日本を補給基地として拠点を考えながら、そこから戦争を遂行すると、きちんとなっています。これまでも日本には実際には脅威はなく、アメリカは日本を守ってはおらず、むしろ作られた脅威のもとで、日本が負担になる基地提供を行ってきているのです。さらに日本が戦場になる戦略が今行われていて、それが日米同盟の深化なのに、私たちはそれがいいことかのように思わせられている、ということがポイントです。日本はこれ以上、日米同盟に深入りしないで、もっと外交を通して、中国とも隣国とも友好を通して、戦争を起こさないという流れを作るべきだと思います。
【当文書に関する注意事項】
・ 当文書は、各スクールの講師の了承を得て「福島みずほと市民の政治スクール」運営チームにより作成されたものであり、文責および著作権は「福島みずほと市民の政治スクール」運営チームにあります。当文書の無断転載を禁じます。
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伊波洋一さん(元宜野湾市長) 「沖縄基地問題・普天間基地のゆくえ」
[講演要旨]
1.沖縄の基地の成り立ち
1-1. 戦時下に作られた基地
福島原発問題が大変深刻化していくなかで、原発と沖縄の基地問題が同じように印象付けられています。どちらも、いわゆる迷惑施設を押し付けるのに、交付金とかお金、政府の補助を使ってそれで受け入れられているというものです。しかし、原発は行政手続きを経て同意があって受け入れられましたが、沖縄の基地は決して受け入れられたものではありません。1945年の沖縄戦のさなかに、対本土攻略の拠点として作られたものです。それまで沖縄にあった6カ所の日本軍飛行場に加えて、米軍は8カ所の飛行場を沖縄本島に、対本土攻略のために作りました。それらの基地が今残る基地の基本の形を構成しています。これらの基地は、一度も地主の了解を得ることなく作られて今日に至っています。だから、安保によって基地があるわけでもないのです。
1-2.戦後の土地収用による基地拡大
戦後、1950年代半ばに、新たに土地が接収されて基地が作られていきました。まさにそれは安保のためでした。朝鮮戦争のために、日本各地に予備隊としてきていた海兵隊が地域で大変な問題となり、沖縄に海兵隊を移すことが決められました。沖縄では1953年に土地収用令が公布され、1950年代半ばには、いわゆる「銃剣とブルドーザーで」強制的に、沖縄本島の14ないし15%が更に米軍基地に編入されていったのです。
1-3.沖縄返還を経ても変わらず、占領下のまま、日米安保の提供施設へ
ですから、決して、原発と同一の構図ではありません。沖縄の基地というものはそもそも不正義で、公正ではなく、人権を抑圧しているものです。1972年の沖縄返還で、それらは全て返されるべきだというのが沖縄の気持ちでしたが、これ以降、占領下で作られたすべての既存の米軍基地は、日米安保上の提供施設に衣替えします。その一つが普天間です。普天間は復帰以前から、米国でも、本来これは返されるべきものであるという認識があり、政治問題化する可能性が指摘されていました。また、普天間飛行場は、日本の航空法の基準による飛行場ではなく、かつ、米軍の安全基準として指定されたゾーン内に小学校や公民館もあり、住民も住んでいる、危険性においてアメリカの基準も逸脱した飛行場です。
2.米国基準をも逸脱した基地の現状
2-1.カーター大統領の大統領命令
米国は日本における米軍のようなあり方を是認しているのではありません。1978年にカーター大統領のもとで、国防省、米軍を含めて、連邦政府の活動は連邦法、州法、自治体法を守らなければならない、という大統領命令が出ます。海外においても米軍が守るべき環境基準を作成する提案がされましたが、冷戦の中でそれは行われませんでした。
2-2.1990年代の、議会による環境調査
冷戦後の1990年には、議会による海外基地の環境調査が行われ、議会は1991年の国防予算法で、域外施設の環境要件を決定するための政策立案を決定しました。
2-3.1996年に国防総省の海外環境指針公布
1996年に海外環境指針が成立し、現在はそれが日本に適用されています。その大きなポイントは、駐留国の基準か米国の基準か、のうち、より厳しい基準を適用するというルールです。2000年9月には、日米両政府は環境原則に関する共同発表を行い、日本の米軍基地の周辺、基地の中、周辺住民に対して安全と環境を守るために、JEGSという日本環境管理基準を適用し、安全と環境が確保されると宣言しました。
2-4.日本政府の対応
ところが沖縄では何も変わりませんでした。日本政府が何も監視していないからです。翻訳すらしていません。単に連邦政府、連邦議会に対するアリバイであって、本来アメリカが守るべきものを放置しているのです。
3.米軍の抑止力の議論
3-1.沖縄の海兵隊の活動の実際
海兵隊の抑止力については、いろいろな議論がありますが、実際は、海兵隊は沖縄にはいません。2006年の例では、1・2月はグアム、2・3月はフィリピン、3・4月は韓国、5・6月はタイ、9月はオーストラリア、10月から11月はフィリピンにいました。
3-2.米軍海兵隊は、西太平洋諸国と共同演習を行っている
海兵隊はこのように毎年、半年くらいはこれらの国々を行き来して、その国々との演習をしています。米国は、西太平洋の5つの国、日本・韓国・フィリピン・タイ・オーストラリアと、同盟関係というべき安全保障条約を持っていて、これを担保するために訓練をしています。冷戦終了後、米国民が、この強大な軍隊を維持して自分達の国だけで他の国の防衛をするのはおかしい、各国にもシェアしてもらうということになり、日本は、思いやり予算や日本の基地予算で艦船・部隊を送る役割となったのです。
3-3.海兵隊の抑止力についてのアメリカの認識 - グアムの重要性
海兵隊の抑止力については、2009年2月に締結されたグアム協定で、海兵隊をグアムに移したほうが抑止力の強化になる、と明確に書かれています。沖縄から8千名と家族9千名をグアムに移す、そのために日本政府は7千億円を払います。2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」の半年後には沖縄からグアムへの海兵隊移転も合意されました。
3-4.辺野古、嘉手納などについて、アメリカ国内でのさまざまな議論
辺野古の話も、キャンベル国務次官補は、ヘリ基地のためではなく、中国有事のためだと言っていることがウィキリークスで伝えられました。米国連邦上院軍事委員会は、辺野古移設ではなく、嘉手納統合、と言ってもいます。連邦議会のレビン上院軍事委員長は、沖縄訪問時に実際に辺野古の美しい海を見て難しいと感じた、と言っています。海軍長官も務めたウェッブ上院議員は、予算節減のための海兵隊グアム移転の報告書を出しています。アメリカでは権限の強い連邦議会が、予算を減らせ、計画を変更しろ、と言っています。日本政府はそのことに向かい合って、辺野古を断念するチャンスのはずなのです。
3-5.日本の国会でなすべきことは
日本の国会ももっと自由な議論をして、政府に対して沖縄の負担軽減のための計画変更を迫るべきだと思います。海兵隊移転をそのまま進めて実質どれくらいの海兵隊が残るのか、なども明らかにする必要があると思います。政府が問題を明らかにして本当の意味での課題として解決にもっていく、原発と一緒でこれがとてもだいじだろうと思います。
4.沖縄基地問題の大きな背景 - 日米同盟の深化
4-1.日米安保をアジア太平洋に拡大した1996年
辺野古問題は、普天間の問題、沖縄の基地負担の問題だけではありません。1997年の新ガイドラインで、米軍が日本の民間港湾・飛行場を利用できるようになりました。その前年、1996年のアジア太平洋宣言で、日米安保は、日本周辺の極東からアジア太平洋全域に拡大したのです。
4-2.日米安保を地球規模に拡大した2005年の日米合意
2005年には、日米安保が地球規模に拡大されました。2001年の同時テロ以降、アメリカは地球規模の基地の再編に着手し、ハワイ・本土以外では、イギリス、イタリア、インド洋の先のディエゴ・ガルシア、日本、そしてグアム、この5つに集約することになりました。2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」という合意で、日本に新しい基地を作ること、日本の米軍基地は地球規模の基地だということを合意したのです。
4-3.日米同盟の深化 - 国民と政府の認識
これこそが、今よく言われる日米同盟の深化です。米国は、自衛隊と米軍の一体化をもめざしています。では国民はこの同盟をサポートしているかというと、決してそうではありません。アジアの国々と国際的な安保体制を築く、という人が過半数なのですが、残念ながらこれが政治勢力にならず、自民党政府も民主党政府も、いまや同盟の深化路線です。
4-4.日米同盟の深化とは、中国包囲網を形成し、日本を戦場に使うこと
この深化は何かというと、中国包囲網です。南西諸島に対して自衛隊を配備して、日中の軍事的緊張を高めながら、アメリカはその中国の戦力を封じ込める一つの役割を日本にしてもらう、そのうえで、いざとなったら有事対処をするということだと思います。アメリカの今のエアシーバトル戦略は、米中有事が起こったときに、西日本の基地がやられる可能性があって、そのかわりに東日本を補給基地として拠点を考えながら、そこから戦争を遂行すると、きちんとなっています。これまでも日本には実際には脅威はなく、アメリカは日本を守ってはおらず、むしろ作られた脅威のもとで、日本が負担になる基地提供を行ってきているのです。さらに日本が戦場になる戦略が今行われていて、それが日米同盟の深化なのに、私たちはそれがいいことかのように思わせられている、ということがポイントです。日本はこれ以上、日米同盟に深入りしないで、もっと外交を通して、中国とも隣国とも友好を通して、戦争を起こさないという流れを作るべきだと思います。
【当文書に関する注意事項】
・ 当文書は、各スクールの講師の了承を得て「福島みずほと市民の政治スクール」運営チームにより作成されたものであり、文責および著作権は「福島みずほと市民の政治スクール」運営チームにあります。当文書の無断転載を禁じます。
・ 当文書中に引用された各スクール講師のオリジナル資料の著作権は、各スクール講師にあります。
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